【体験談】在学中に医学部再受験を決意し、単位を取りながら医学部合格した話

プロフィールと体験談

こんにちは。当ブログの運営者のめんどくさ医です。

このブログを始めて、志望校の選び方とか、勉強の始め方とか、色々と書いてきました。
が、改めて一読者目線でこのブログを読み返してみると、
私自身がどうやって勉強していたか、などの体験談っぽい話がほとんどなくて、

いや、お前だれだよ、本当に医学部合格したのかよ!とか
本当は無職のおっさんなんじゃないの?しかもひげづらの。
みたいな疑問がでるんじゃないか、

と思い始めてきたわけです。

このブログでは医学部再受験を考える人のために、
客観的で役立つ情報や戦略などをみなさんにお伝えしたい、と考えていたので、

私自身の体験、みたいなものは、敢えて書かないでいたんです。

ですが今回は私の紹介という意味も込めて、
私が前大学に在学中に、どのようにして再受験するに至ったかについて書いてみようと思います。

普通に無気力に過ごしていたダメ人間ってばれますけど、まあ正直に白状することにしました。

私の簡単なプロフィールです。

自己紹介
小中高ド田舎の公立。塾も行かず部活に明け暮れる
高3夏部活を引退し、ようやく勉強を始める
現役、浪人時東大受験するも不合格→理系の私立大学へ
前大学2年の夏再受験を決意 → 半年程度の独学で国立医学部に合格

入学式にも行かず、無気力に過ごす

まず、いきなりやばいやつと思われそうなことを書きますが、私は前大学(私立大学の理系学部です)の入学式をすっぽかしました。

めんどくさくて行かなかった、というよりは、あえて行きませんでした。

私は東大志望で、この私立大学はセンター利用入試
(個別の試験は受けずセンター試験のみで合否が判定される入試形式、そのため受験する大学に試験を受けに行く必要がない)
で一応出願していただけで全く愛着もなかったし(なんなら立地も分かってなかった…。)
なんといっても浪人してまで目指した東大不合格のショックが大きすぎて、
正直もう今後のことなんてどうでもよくなっていたからです。

その後オリエンテーション(これはさすがに全員出席しろと書いてあった)には顔を出すも、
先輩との交流会的なものや部活動の説明会などは全無視して毎日帰宅しました。
正直もう大学を中退して、適当に就職するか、的なことまで視野に入れていたんです。

だからなるべく大学で友達ができないほうが、やめるとき楽かなと考えていたんです。

大学1年4月~授業開始

私の大学は理系の中でも進級がわりと厳しい方で、

ストレートに卒業できるのはたしか全体の60%程度とけっこう厳しい大学でした。

でも浪人中に、東大対策の一環で物理や数学などについては大学1年生の内容はある程度かじっていたので、ほとんど授業にはでなくても余裕でした。(こう書くとめちゃくちゃ感じが悪い学生ですが…。)

東大に落ちて、「学問の才能はないという烙印」を押された、という風に思い込んで
(あるいはそう思い込むことによって学問から距離をとることで自分自身を無意識に守っていたのかもしれませんが)、
「数学」とか「物理」とかのいわゆる純粋な学問の世界では絶対にもう頑張らない、
と意地になっていました。

受験レベルで合格できない人間が研究なんてしても意味なくない?みたいな感じです。

そんな考えでギリギリ単位がとれるように計算して、できるだけ授業に出ず、レポートも出さず、
あとは図書館や公園などでボーっとしてました。

大学に行かなさ過ぎて、その出現率の低さから周りからはセレビィと呼ばれていたくらいですから。
(ポケモン知らない人はすみません

もうヤミすぎて、とにかく何をやっても楽しくない…。

家族旅行に行っても、高級焼肉店に行っても、自分が東大に落ちたことを考えない時間はなかったです。

高校の同期で、私と同じように浪人し、第一志望の大学に受からず、滑り止めで受かった大学に進学した友達がいました。

その友達は最初はやはり不満があったみたいですが、
サークルやバイトなど大学生らしいこともしていくうちに、その大学でいいかと思えたみたいで、
私にもそういうふうに思えるかもよ、今の大学で頑張ってみては?と相談に乗ってくれたりしました。
が、私はどうしてもそういうふうには思えないままでした。

大学の授業も後ろの方に座って目立たないように受けて、
終わったら速攻帰る、という感じで、友達もできないようにしていたんですが、
みんないいやつで、声かけてきてくれたりするんですよね。

一緒に昼飯行こうぜ、とか、過去問持ってる?あげようか?とか…。
そうするとさすがに無下にはできないと思って一緒に行動したりする…。

またグループでやる実験の授業もあったのでそこでもだんだん仲が良くなっていき、
そのうちにいくつかの仲の良いグループができていきました。

大学1年後半~教職を取り始める

教員の免許を取るには教職課程という単位をとらなければなりません。

教育学部の人はその学部で決められた単位を取っていけば教職課程の単位が取れる仕組みなのですが、私は理学部だったので、教職課程をとる場合、理学部の卒業に必要な単位+教職の単位をとらなければいけないです。

そうすると忙しさは1.5倍-2倍くらいに増えて、日によっては22時ごろまで授業があったりするんです。

どうして無気力状態でそんなにつらい教職を取ろうとしたのか?と言われれば
自分でも正直よくわかりませんが、
別に授業にでるだけなら座っていればいいし、
教職をとるといえば親も少しは安心するかなあとか、
最悪つらかったら途中でやめればいいかなあとか、そんな感じです。
真剣に教師を目指している方にはとても失礼な動機ですが、、、。

大学1年10月~センターの願書を兄が出してくれていた

そんな感じであいかわらず無気力で過ごしていたのですが、
10月ごろ兄がこっそりと私のセンターの申し込みをしてくれていたみたいです。
おそらく私がずっと受験の失敗を引きずっているのを見かねてのことだと思います。

それで、もう一回受けてもいいんじゃないか?みたいなことをボソッと言って渡してくれたんです。

今考えると本当に感謝なのですが(いや、当時もそれを聞いたとき、気にかけてくれているということにとても感謝したはず)、
その時の私は完全に受験恐怖症で、受験なんて二度としたくない、っていう感じだったんです。

というのも、浪人時は模試では良い成績がでていたのに、
本番はプレッシャーに弱いのか全然できなかったからです。
(今となっては分かっていて、完全に精神的な問題がありました。もしかしたら今後記事にすることもあるかもしれません。)
おまけにA判定以外とったことのない早稲田にも落ちました。

しかも、もう10月だったんです。
1年ずっと受験のためにささげてムリだったのに、今からやっても無理に決まっている。

だから、センターの申し込みをしてくれたからと言って、
「よしやってみよう」とは思えなかったのです。

結局、
もう一回受験してみようか、いや、、でも、もういいかげん諦めよう、浪人してもだめだったのだから、、とぐるぐる悩むだけで何もせず、気が付けばセンター試験は終わっていました。

それからずっと受験のことをぐるぐる考える時期が続きました。

自分はなんで落ちたんだろう、模試はそれなりの成績がとれていたのに、、。
本番に弱いだけ?
それとも模試はできても本番ができないような、間違った勉強をしていたのだろうか、はたまた自分にはとんでもない欠陥があるのかも…など。

大学1年2月 早稲田大学の一般入試を受ける

色々考えているうちに、自分がなぜ落ちたのか確かめたいと思うようになりました。

そして、1月の終わりごろだったと思うのですが、早稲田の理工学部を受験して、合格するか確かめてみることにしました。

大学受験の勉強から1年近くたっていて、相当実力を落ちていたのは明白でした。

早稲田の試験は2月14日とかだったので、
なんとなく1-2週間程度パラパラ参考書を見返えして、といっても最低限の公式と英単語を確認するくらいでした。

でも実際に入学がかかっているわけではないし、気楽な感じで試験を受けてみたらどうなるのだろうと試しに受験してみました。
そうしたらなんと合格したんです。
絶対に実力的にはもっとできていた浪人時は早稲田も落ちていたのに、ほぼノー勉で受けたら合格してしまった。(学部学科も同じところを受けました。)

合格して単に嬉しいとかでは全くなく、だったらなんで去年だめだったんだ、といった怒りにも似た感情と、自分も本当はやればできるのかもしれないというかすかな希望が見えたような感情と、色々な感情が複雑に芽生えました。

その後だんだんと再受験への意識を強くしていく

そして、再受験するならどこを受験するのか、ということをなんとなく考え始めました。

高校生のときは、やりたいことが決まっていないこともあって色々な学問に触れてから進路を決めたいと思っていたので東大をめざしていたところもありました。
(もちろん東大が最高峰だから、といった憧れもありました。)

というのも、有名な話で知っている方も多いと思いますが、東大は最初は学部には分かれず1年時は色々好きな学問を学び、2年の後半で行きたい学部を選択できる制度なんです。

ただ、もはやこんなに時間的に遅れてしまった以上、そんなものにはあまり魅力を感じませんでした。

今から再受験するとして、本当にしたいことはなにか、を考え始めるようになりました。

大学2年4月~医学部を考え始める

大学2年に入っても、再受験について思いを巡らせていました。

そのうち不思議と医学部を意識するようになりました。

しっかりとした思考プロセスが説明できるほど整理できた頭で考えていたわけではないので、
うまく理由は説明ができませんが、あえて言語化するなら、

  • 今から再受験するなら、大学で学ぶ学問がしっかりと職業に結び付く学科がよい
  • 今まで自分が受験のためにささげてきた時間がムダでなかったと思えるような、それなりに難しい大学に挑戦したい
  • 高校の時から実はひそかに医学部に行きたいと思っていたところがあった

というところだったのかなと思います。

医師になって人を救いたい、という気持ちはもちろんベースにはありましたが、

それ以外にも自分の受験の失敗を医学部受験することで消化したい、
という気持ちなど、胸を張っては言えないような不純な気持も絶対に混ざっていたと思います。

高校のときからすでに、私は医師という職業にひそかに興味があったのですが、
田舎の「自称進学校」で、毎年医学部にいくような人はほとんどいなく、
情報がまったくありませんでした。
また、そのとき医師になる覚悟もなかった
医学部に行くと、医師になるしか道はなくなってとても将来の幅が狭まるとおもっていたのです

(医学部になってから気づいたのですが、実際はちがいます。
医学部にいっても、医師になる以外の道を選ぶ人はたくさんいるし、臨床医にならず研究にすすんだり、患者と会わずに仕事をする科もあるし、
医学部だけでとても幅広い働き方がある!)

(このようなことは都会の進学校では当たり前にみんなが知っていることで、都会の人は、とりあえず偏差値的にいければ医学部にしとこう、医師免許もっていれば稼ぐのには困らないし、最悪自分にあわなければ別の本業をすればいいし、みたいな発想で医学部に来る人がめちゃくちゃ多くてびっくりしました。)

というように、うまく説明はできませんが、2年生ごろから、再受験するなら医学部を再受験しようかなと思うようになっていきました。

大学2年4月~7月 受験のトラウマからなかなか再受験に踏み切れず

ただ、やっぱりもう一度受験のために頑張るのはとてもつらいし怖い。

もう完全に受験がトラウマになっていたんです。

またもう1年間、受験に受かることだけにすべてをささげて、
勉強するのは目新しい大学の内容でも医学の勉強でもなく、
今まで嫌気がするまでさんざんやってきた高校受験の内容で、
またひたすら正確にとける訓練をしなければならない、
自分はしっかりと受験勉強に1年間向き合えるだろうか?
それにもし落ちたら文字通り無駄な一年だった、みたいになりそうだし…。しかもどんなに頑張っても1年に1回しかない試験日に失敗したらすべて水の泡だし…。

というようにうだうだとなかなか再受験の決心がつかないまま2年生の7月になりました。

大学2年8月 姉に喝を入れられる

そんな中、誰かに相談しようと思って選んだのが姉でした。

今でも覚えているのですが、東京のお好み焼き屋で一緒に夕飯を食べながら相談を聞いてもらいました。

そのときにいつもは穏やかな口調の姉が、
「いつまでそんなことで迷っているの」
「大学に通いながら受験して失敗しても、やらなかったのと一緒でそれ以上失うものもないでしょ?」
「いいかげん自分と向き合えば?」とけっこうきつめの口調で言い切ったんです。

それがとても心に響いて、どこが自分の人生を他人任せにしていたんだなあと気づいたのです。
そこで再受験をする覚悟が決まりました。
今思えば姉はなんとか私の背中を押そうと、慣れない𠮟咤激励役を買ってくれたんだと思います。
本当に感謝です。

大学2年8月~再受験計画開始

まず再受験をするにあたってムダな時間を減らすべく、
授業数をなるべく減らせないかを考えました。

学部の授業はほとんど必修の単位だったため切れる授業はほとんどありませんでした。

ただ調べていくうちに、英語に関してはTOEIC750点以上をとれれば単位認定する、という制度があることを知りました。

英語の単位をとるには確か1コマ1.5時間の授業が15回(=計22.5時間)でこれがたしか週2であったので、45時間分の授業に出なくてはいけない。

しかも、やっている内容は簡単な教科書を読んでグループで話をしたりなど、
正直ほとんど役に立たないようなもので(少なくとも受験英語には)、
先生もひげが濃い恐めの先生で、内職もできない。

だったらTOEIC750点取る対策をするほうがまだ勉強にはなるし、45時間以内の学習で、750点とれればその方が効率的だと思ってTOEIC受験することにしました。

結局1か月くらいの間、平均1日1時間くらい、主に電車の中の移動時間を使って勉強をして、TOEICは795点とれて授業が免除になりました。

それと教職の単位は必ずしも2年時でとらなくても、3年でとっても良いものもあったので、そういう授業はいったんとらないようにしました。

模試を受けてみた

うろ覚えですが、たしかこのころ阪大模試と東大模試を受けてみて、自分がどれくらい受験勉強を覚えているかやってみました。

これもうろ覚えですが、たしか阪大医学部がC判定で東大理二がB判定だったと思います。

英語が壊滅的に読めなくなっていて、理科も全然時間内に処理できず、数学はわりとできている、という感じでした。英語と理科に危機感がでて、その後の勉強にも役立ちました。

問題集をどれにするか考えてみた

数学は浪人時は東大志望だったため、月刊の大学への数学など難しめのものをやることが多かったのですが、まずは基礎的な解法を思い出したいと考えて、大学への数学の1対1をやることにしました。

この本は一つの問題に一つのテーマがあるといったタイプの網羅型の問題集であり、かつ問題数もチャートなどよりかは少ないため、効率的にできるかなと思ったからです。
加えて、医学部はそんなに難しい問題がでるわけではないから一対一でひとまず十分と思ったし、
これ以上たくさんやり込む時間はないと思ったというのもあります。

(数学についての私の勉強法の詳細はこちらの記事で)(準備中)

それ以外の教科はもともと持っていた問題集で、

英語は浪人時も使っていたシステム英単語をやり直すのと、何かしらの長文を一日一つ読む、文法の問題集(全解説頻出英文法・語法問題1000だったと思います。)、英文解釈としてポレポレをやる、みたいな感じ。

物理名門の森を解きなおす

化学はもう絶版っぽいですが、河合塾の新こだわってシリーズを解きなおす

国語は古文単語(マドンナ)とひたすらセンターの過去問をやる

というようにしました。

大学の授業中の時間の過ごし方

基本的に数学の問題をやるようにしました。

というのも数学の問題って問題文が短いし、内職向きなんですよ。

あまり時間がないこともあり、大学への数学の1対1シリーズで解法を思い出す、
という風に勉強することにしました。

問題文をたくさんスマホにスクショして入れておき、授業中にそれをたまにチラ見して、頭で方針をたてて、なるべく頭で計算をして、という風にやっていました。

あまりノートにたくさん計算していたら授業と関係ないことをやっているとバレますし、
また浪人時代の復習の感覚でやっていたので、頭の中で方針がたってなんとなく計算ができればOKというふうにして、とにかく時間を節約してやっていました。
(もちろん計算が主体の問題とかはちゃんと数値を合わせるのが肝なので、ちゃんと実際に計算したりと、色々試行錯誤してやっていました。)
1コマの授業=90分の時間で、10問くらいは解くくらいのスピード感でサクサクやってました。

大学から帰ってからの時間の使い方

教職をとっていたので、大学が終わるのが平均19時ごろ、遅いと22時ごろでした。

しかも理学部で実験のレポートが2週間に1回あって、毎回30枚くらいにまとめなければならず
このころは最低限の大学の課題でもそれなりにきつかったです。

それなので、大学の課題は完全に時間で区切って、出来が悪くても必要以上に時間をかけない、というように割り切ってやっていました。

大学が終わって19時-21時ごろまで大学の図書館でレポートなどをやって、クオリティが低くてもそのまま提出する、
そして家にいったん帰って23時頃から深夜3時ごろまでを受験勉強時間にする。
そして次の日9時に起きて10時からの授業に行く…みたいな感じでやってました。
今思えばよくこんな生活を頑張れたなと思います。もちろんそれだけ必死だったのですが。

家の近くのファミレスの話

23時から深夜3時まで勉強する、といいましたが、
家の近くにファミレス(勉強可と書いてあった)があったのでだいたいそこでやっていました。
(今考えたらそれでもめちゃくちゃ迷惑。)
家だと絶対に寝てしまうと思ったので、無理やり外でやっていました。

そこの女性の店長さんが女神のように優しい方で、
いつも勉強していてすごいですね、とか、
夜はガラガラなので気にせず勉強してくださいね、みたいなことまで言ってくれて、
なんならコーヒーのサービスとかを無言でもってきてくれたり…。

死にそうな顔でファミレスでセンター数学のタイムアタックだったりをしているおっさんにこんなにやさしくしてくれるなんて…。

受験勉強で意識したこと

勉強と並行しつつ、医学部の入試の情報については暇を見つけてはググったりしていました。
よく見ていたサイトは医学部受験と再受験さんです。
(各大学の受験情報がとてもまとまっていておすすめのサイトです!)

最初は全然医学部受験について分かっていなかったのですが、
こうしてネットで調べていくうちに

医学部受験はセンター試験(今は共通テストですが)がめちゃくちゃ重要で、
センターで9割とれればそれだけで地方国立医学部の後期試験(後期はセンター+面接だけの大学もあります)は合格できる可能性が高いということも知りました。
(今の共通テスト換算で8割5分程度くらいかなと思います)。

センターで9割確保できれば、
後期で地方国公立なら合格できる、という安心感のもと、前期で第一志望の大学にチャレンジできるわけで、このアドバンテージはめちゃくちゃ大きい!

それなので、センター試験の対策に重点を置くことにして、特にセンターの国語で安定して得点できるように、早くからセンターの国語の練習をはじめました。

また、医学部受験の年齢差別について知ったのもこのサイトでした。
最初はさすがに国立医学部で年齢差別とか、そんな昭和っぽいことはないだろう、と
思っていたのです。

このサイトのデータを見て、年齢差別をしてそうな大学が実際にあることを知り、
志望校を慎重に考えなければならないことを知りました。
(2023年の各大学の年齢別の合格者数と年齢差別についての記事はこちら)

大学2年秋ごろ 大学の友達に再受験を打ち明ける

再受験を決心して、最初は誰にも打ち明けずにやっていたのですが、
仲のいい大学の友達二人に打ち明けることにしました。

ひとりは書道の達人(書道師範を名乗れるレベルらしい)。
もうひとりはアニメの達人?でした。

正直、再受験について誰にも打ち明けないでいようか、と迷っていた時期もありました。

というのも、再受験して別の大学に行きたい、ということ自体が、その大学にいることについてネガティブな気持ちの表れでもあるし、
在学している人にとってあまりいい気持ちがするものではないですし…。
ただ、自分の正直な気持ちを言っても大丈夫という信頼感があったので打ち明けることにしました。

書道の達人は字が神がかってきれいでノートもとてもきれい。
すごく複雑な計算過程を先生が雑に殴り書きした板書も一字一句間違いなくノートに写す特殊能力をもっていて、ただ本人は数式の意味は全く理解していない…。

アニメの達人は交友関係が広く、いろいろなグループから過去問やら情報などを収集する特殊能力をもっていて、しかも理屈っぽいこともあって過去問とかの研究も深い。

この二人に再受験を打ち明けたら、
それなら授業とかでなくていいから受験勉強してなよ、ノートとか過去問とか全部見せてあげるから、とすごく親切にしてくれて本当に感謝しています。(10年くらいたった今でも会ったりする仲です。)

完全に私のほうがしてもらったことは多いのですが、書道の達人は、正確なノートをとってこれるのに内容を理解していない、みたいな感じだったでせめてものお返しに、パターン別の解き方を私が作って渡したりしてました。

書道の達人が完璧なノートを作る→私がそれを解読して、パターンに分類してそれぞれの解法を編み出して伝える、みたいな連携ができあがったのでした。

大学2年1月 センター前の悲劇 大学のテスト期間と被る

そうやって二人の友人に力を貸してもらったのでなんとか乗り切れたのですが、
センター試験直前の1週間がちょうど大学の試験週間とかぶってしまったのです。

センター直前で最後のチェックやらなんやらしたいことはたくさんあるのに、
量子力学のシュレディンガー方程式やらなんやらをやらなくてはいけなくて、
センター直前になんで量子力学やらなきゃいけないのか、本当に辛すぎて吐きそうでした。

センター試験について

自分としては正直全然勉強時間が足りておらず、
東大志望していた浪人時よりはるかに理系の科目は演習不足、
ただセンターを重要視していた分、国語の対策はしっかりできていた、という感じでした。

もともとのイメージとしては、

英語 どんなに失敗しても190は切らないはず
国語 頼むから160は持ちこたえてくれ
数学 190/200は死守したい
物理 最悪でも95
化学 90以上はいけるだろう
倫政 できれば85点くらい、80は切らないでほしい
という感じ。

(ちなみに浪人時は英196 数1A 96 数2B 94 国語108 物96 化94 倫政84と
英数理では24点減点くらいとそこそこ良いけど国語で爆死しました )

そして実際の点数は、

英語184(基本的に190を下回ったことがなかったのですごく失敗した。)
国語182(1回もとれたことのないレベルでうまくいった。古文が簡単な年だったからというのもある。)
数学1A88
数学2B92
化学82
物理85
(理系科目すべてすごくミスが目立った。)
倫政84(いつも通りの点数がとれた。)
合計797

国語がよかったので耐えましたけど、英数理がひどすぎて結果9割(=810点)いかず…。

この点数だと後期での合格は期待できないなあと、とてもショックを受けました。

センター後に志望校を変えた

センターで9割行かなかったため、後期で受かる保証もない。
つまり前期で確実に合格しなければいけない

もともとはある程度偏差値の高い大学を第一志望にしていたのですが、
本当にその選択で後悔しないだろうか、落ちたらどう思うだろうか、と悩み始めました。

それなので、時間の無駄にならないよう時間を決めて志望校を考える日を設けました。

たしかセンターリサーチとかそんな感じの名前だったと思うのですが、
みんなのセンターの自己採点結果を予備校が集計して、各大学の合格可能性が分かるサービスがあります。

その情報では、もともと受ける予定だった大学でもB判定くらいの位置にはいたのですが、
その大学では二次試験の方が配点が高いため結局二次試験勝負になる、
というのが怖いなと感じました。
とにかくもう絶対今年で決めたい、という思いが強かったからです。

この時に、実際に私がのちに入学した、地方の医学部に受験校を変更しようと決心をしました。

その大学なら、A判定でそれなりに上位にいたし、センターの配点の方が高いため、二次試験でそう簡単にはひっくり返らないと思ったからです。

志望校を変えた時の葛藤

もともとはある程度難易度の高い大学に行きたいとは思っていました。
だけど私は今までそうやって東大を志望して失敗してきたわけだし、
具体的な理由があっていきたいというよりかはネームバリューを気にしていただけだったような気がしました。

今までは兄弟が東大に行ったから私も東大を志望する、みたいに、
意識はしていなくても流されていたような気がします。
ただ、ここで地方医学部に変更したとき、なんというか初めて自分の意志で決断したような感じがして、やっとスタートを切ったような気持ちになりました。
今でも、この時の決断は、自分で考えて決断した体験としてとても心に残っています。

(偏差値の高い医学部に入るメリットについてはこちらの記事をどうぞ)

大学2年1月後半~ 二次試験対策

センターが終わってから二次試験までの1か月強の期間があります。

特別なことは何もやっておらず、今までどおりの参考書を復習しつつ、主には過去問を時間をはかってやっていました。

あとは、河合塾で、面接対策の1日だけの講習があったので、それに参加しました。

予備校に行っている人しか知らない情報などあるのかもしれないと思って参加しましたが、
正直特別ためになるようなことはありませんでした。
ただ、実際に模擬面接をしてもらえるので、面接慣れという意味では参加した意味はあったのかなとは思いました。

大学2年2月25日,26日 二次試験

正直落ちたと思っていました。

最初の理科で時間配分を失敗しました。
物理が難化した年だったのですが、物理に時間をかけすぎて化学を解答するのが間に合わなかったからです。
1日目でそんな感じだったで、本当に辛い気持ちでした。
でも最後まで全力を出そうと何百回も自分に言い聞かせて2日目に臨みました。
二日目の面接は再受験だからいろいろと厳しめに突っ込まれるかといろいろ対策をしていましたが、5分くらい雑談をするだけで終わりました。
本当にただの雑談で、試験会場まではバスできたの?とか実家はどこなの?とかそんなことしか聞かれませんでした。こんな面接でなにがわかるんだ…。

大学2年3月 合格発表

後期の勉強をしながら、合格発表のサイトにアクセスしました。

正直前期の失敗が気になりすぎて、後期の勉強に集中できていたとは全く言えませんが、
前期の試験が終わって翌日からは後期の勉強を開始しました。

前期の結果発表の日は死ぬほど緊張してサイトにアクセスしたのを今でも覚えています。

自分の番号を見つけた時には本当にほっとして、嬉しいというかそういう実感はまったくなくただ脱力してしまう感じでした。

入学後に得点開示してみたら…

入学後に得点開示したら、二次試験の得点率は8割弱くらいで、
実はけっこう余裕をもって合格できていました。
入試当日はどうしても部分的なミスとか気になってしまったりしますが、
そもそも問題自体難化している可能性もあるし、とにかく最後まであきらめないことが大切なんだと思います。

まとめ

結果的には医学部合格することができましたが、運やタイミングに恵まれた部分ももちろんありました。
また周りの人に助けられまくってここまでこれた。
そもそも一人ではもう一度受験しようという覚悟すら決まらなかったですし。
家族や、大学の二人の友人には本当にたくさん助けてもらったし背中も押してもらいました。
またこの記事では書ききれてないですが、そのほかにもたくさんの人に助けてもらいました。

この記事は単なる私個人の再受験合格の体験期に過ぎませんし、再受験を目指す人全員の参考になるようなやり方が書いてあるわけではないですが、

受験に失敗しまくって絶望していた状況から、なんとか医学部に合格できた私の話が、誰かの背中を押すことができればいいなと思って書いてみました。

ここまでの長文を読んでくれた方は本当に本当にありがとうございました。
また次の記事でお会いできればうれしいです!


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